MENU
人気記事ランキング

バスケットボールシューズから伝説の定番スニーカーへ!コンバースとチャックテイラー

アメリカ発祥で、100年を超える歴史をもつコンバース。
変わらぬデザインのまま現代においても人気の高い伝説的スニーカーは、バスケットボールシューズからカジュアルシューズへと変貌を遂げながら、その歴史的価値を今に伝えています。

目次

コンバースオールスターがバスケットボールの王者だった黄金時代

コンバースのオールスターは、1917年の誕生から1970年代後半まで約60年間にわたりバスケットボールシューズの代表格として認識されていました。

日本でもバッシュ(バスケットボールシューズ)といえばコンバースを指すという、まさにバスケットボールシューズの代名詞だった時代があったのです。

1917年に「ノンスキッド」という名前で発売された後、1921年にはバスケットボール選手のチャールズ・ホリス・テイラーが入社し、1923年に彼の名前を冠した「チャック・テイラー・オールスター」が誕生。
このシューズはNBAの公式シューズとして長年採用され、バスケットボールコートを席巻することになります。

靴おじ
靴おじ

チャックテイラーなのに”チャック”じゃなくてチャールズなの?って思うよね!
チャックっていうのはチャールズの愛称なんだよ。

特に1936年のベルリンオリンピックではバスケットボールの米国代表チームが着用し、金メダルを獲得。
多くのバスケットボールチームやアメリカの少年たちがオールスターを履くようになり、まさにバスケットボールシューズの王者として君臨していたのです。

しかし1970年代後半になると、ナイキやアディダスなどの新興ブランドが技術革新を進め、より高機能なバスケットボールシューズを開発。
コンバースの単純なキャンバス素材とラバーソールの構造は、次第にプロレベルのパフォーマンスシューズとしての地位を失っていきました。

1980年代には、NBA選手の足元からコンバースが姿を消し始め、バスケットボールシューズとしての黄金時代に幕を下ろしたのです。

コンバース・ノンスキッドからチャック・テイラー・オールスター誕生へ

コンバースの歴史は1908年、マーケス・ミルズ・コンバースによってマサチューセッツ州モールデンで「コンバース・ラバー・シュー・カンパニー」として創業したことから始まります。

当初はゴム長靴やワークシューズを製造する会社でしたが、1915年に運動靴の製造を開始。
そして1917年に記念すべき初代バスケットボールシューズ「ノンスキッド」を発売しました。ノンスキッドとは「滑らない」という意味です。

このシューズが後のオールスターの原型となり、コンバースの歴史を大きく変えることになります。
バスケットボールシューズとしての大きな転機は1921年、プロバスケットボール選手のチャック・テイラーがコンバースに入社したことでした。

彼は販売員としてだけでなく、シューズのデザイン改良にも携わり、1923年に彼の名前を冠した「チャック・テイラー・オールスター」が誕生します。
くるぶしを保護する「アンクルパッチ」や柔軟性を高めたソールなど、テイラーの提案による改良点は、バスケットボール選手から絶大な支持を受けました。

オールスターの人気は急速に高まり、1936年のベルリンオリンピックでアメリカ代表チームが着用したことで国際的な認知度も上昇。

第二次世界大戦中には米軍の訓練用シューズとしても採用されて米国軍の公式スニーカーとなり、その実用性と耐久性は広く認められていました。

まさにコンバースのオールスターは、スポーツシューズとしての機能性と普遍的なデザインによって、バスケットボールシューズの代名詞となったのです。

靴おじ
靴おじ

ちなみにチャック・テイラーの一人目の奥さんは、ハリウッド女優のルース・アドラー(Ruth Adler)だって。

バスケットボールシューズからカルチャーアイコンへと変貌したコンバース

1970年代後半、バスケットボールシューズとしての地位を失いつつあったコンバースオールスターでしたが、思わぬ形で第二の人生を歩み始めます。
それはカウンターカルチャーの象徴としての再評価でした。

靴おじ
靴おじ

カウンターカルチャーっていうのは、「若い世代の人たちが”既存の価値観”に抵抗して独自の文化を作った現象」を指すみたいだよ。

パンクロックミュージシャンやスケーターたちがこのシンプルなキャンバスシューズを好んで履き始め、反骨精神を表現するファッションアイテムとして人気が急上昇。特にラモーンズやニルヴァーナなどのロックバンドのメンバーがステージでオールスターを履くことで、若者文化に深く根付いていきました。

1980年代から90年代にかけて、コンバースは様々なカラーバリエーションやコラボレーションモデルを展開。

1985年に映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公のマーティ(マイケル・J・フォックス)が着用するなど、映画やファッションブランド、アーティストとのコラボレーションを通じてカジュアルスニーカーとしての地位を確立します。

特に1980年代には日本市場においてカラフルなオールスターが大ヒットし、日本のストリートファッションに大きな影響を与えました。

しかし、ブランドの変革期には経営的な苦難も経験します。

2001年には経営破綻を経験し、2003年にはライバルであったナイキに買収されるという皮肉な運命をたどります。
それでも、ナイキの傘下に入った後も、コンバースはその独自のアイデンティティを保ち続け、ファッションアイテムとしての価値を高めてきました。

オールスターは現在、世界中で年間約1億足が販売される伝説的なスニーカーとなり、バスケットボールシューズからカルチャーアイコンへと見事に変貌を遂げたのです。

靴おじ
靴おじ

ややこしいんだけど、日本で流通しているコンバースはナイキじゃなくて伊藤忠商事の子会社「コンバースフットウェア」が製造・販売してるんだ。

コンバースがバスケットボール界に残した不朽の遺産

コンバースオールスターがプロレベルのバスケットボールシューズとしての地位を失った後も、そのバスケットボール文化への貢献は色褪せることはありません。

今日でも多くのバスケットボールコートサイドや練習場では、コンバースを履く愛好家の姿を見ることができます。
特に練習用やカジュアルプレイ用のシューズとして、その軽量性と足裏の感覚を直に伝えるソールの特性は、初心者のシュート練習にも適しているとされています。

また、バスケットボールシューズの歴史を語る上で、コンバースの存在は欠かせません。
ナイキのエアジョーダンやアディダスのスーパースターなど、後続のバスケットボールシューズたちは、コンバースが築いた基盤の上に革新を重ねてきました。

特にハイカットデザインの普及や、シグネチャーモデルという概念はコンバースが先駆けとなり、現代のバスケットボールシューズ文化に大きな影響を与えています。
バスケットボールの殿堂にはチャック・テイラーの名前が刻まれ、多くのバスケットボール博物館にはオールスターが展示されています。

また、NBAの歴史映像や写真を見ると、1970年代までの選手たちの足元には必ずと言っていいほどコンバースの姿がありました。
現代においても、アメリカ人の60%以上の人がコンバースのシューズを履いた経験があるそうです。

まさにコンバースはバスケットボールシューズの歴史そのものを体現するブランドとしてだけでなく、名作スニーカーとして永遠にその名を刻み続けることでしょう。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次